支部の歴史
支部設立に至るまでの記録と設立後の記録。(見つかった資料から順不同で記載)
写真や新聞記事などに懐かしいメンバーが出てきます。
福知山道院・支部設立
- 1968年(昭和43年)10月 福知山市堀野家の一宮神社能舞台で練習開始
- 会社の同僚3名を含む4名でスタート
- 能舞台には三方に壁が無いため、冬は雪が降り込み足を滑らし、夏は蚊に悩まされる。
- 拳士数14名に。
- 厚生会館を会場にして設立6周年記念演武会を開催。
伊丹道院・京都別院・豊岡道院などから応援があり盛大に行われた。
練習場所を納税会館に移す
- 内記2丁目の納税会館(現在の納税協会)に移る。
壁のある場所に移るが拳士数が4名くらいに減少。 - 映画「燃えよ!ドラゴン」が上映され少林寺拳法ブームがおきる。
高校生を中心に拳士数が増加。
練習場所が無くなる。
- 納税会館の老朽化により改築されることになり、練習場所が無くなる。
約3ヶ月間は三段池公園での野外練習や市民体育館で練習。
岡ノに専有道場を借りる
- 拳士の一人であった現西山ストア社長の西山 進氏の紹介で岡ノの倉庫を借りる。
- 元酒造りの工場であったために改造する。
床の張り替え・祭壇の設置・壁の塗り替えなどを行う。 - 道場開きを行う
山本 潮氏(師匠)・家元丈夫氏(現府会議員)・古川太一氏(故:医師)・西山康彦氏(進氏の父)を招き、道場開きを行う。
旭が丘に少年部を開設
- 児童会館に開く。少年拳士約20名が入門。開設式を行う。
- 福知山市のスポーツ少年団に加盟したのもこの時期。
岡ノ道場に少年部を設置
- 近所にポスティングして入門者を募る。
8名が入門。この頃から少年部が増加。 - 拳士数約50名になる。
福知山高校に同好会を作る
- 約10名の拳士でつくり、週一回の指導を行う。
1977
瑞穂町に青少年支部設立
- 三宮小学校体育館に瑞穂青少年支部を設立(1977/07/04)
毎週日曜日に練習。運動会などで演武披露。
その後、上田雅信氏と支部長を交替。(京都瑞穂スポーツ少年団)
1981年
綾部西道院・支部設立
- 福知山道院出身の衣川 厚が綾部市に開設
保護者と一体となり、自前の道場も建設して地域に密着した活動を行う。
1985年
福知山スポーツ少年団支部を開設
1985/06/23
- 少年部を別組織として支部を設立
スポーツ少年団支部を武道館に移す
- 市役所横に武道館が建設されたのを機にスポーツ少年団支部を岡ノ道場から分離する。
少林寺拳法教室を開催
- 教育委員会の要請で教室を開催。親子での募集に毎年50人以上が参加する程の人気となる。
その後も毎年開催。
1987年
- 福知山西スポーツ少年団設立(1987/06/28)
福知山道院出身の吉見静夫が修正学区のコミセンに設立。
その後、六人部道院を引き継ぎ事になり閉鎖
- 福知山北陵スポーツ少年団設立(1987/10/25)
福知山道院出身の谷口 勉が川口地区に設立
北部大会・京都府大会などで活躍
- 拳士数増加にも関わらず優秀な拳士が育ち各大会で大活躍。
- 全国大会にも出場するようになる。
北部ブロック技術研修会開催
- 北部の技術向上と支部間の団結を目的に本部より指導員を招いて研修会を開催。その後も毎年開催され現在に至る。
三段池公園に武道館建設
- 練習場所を現在の地に移す。
支部開設40周年行事開催
- 2009/8/30 記念演武祭・記念祝賀会が盛大に開催される。
参考資料
部内新聞「THE 拳法 第2号」1980年(昭和55年)
まだパソコンが普及してない時代。手書きの新聞です。
主な記事内容
当時は毎年秋に広小路で市民まつりがあり、映画館の前では少林寺拳法の演武のほか柔道や剣道、空手道などが披露されて賑わっていました。
父母の会が結成されています。役員の中に今は三段池の動物園園長をされている二本松さんの名前もあります。
また、親子で劇団わっぱの公演を鑑賞したり、京綾道院(現綾部スポ少)と綾部西道院(衣川 厚)との合同練習を行ったり、スポーツ少年団の体力テストの模様などが書かれています。その他、両丹日日新聞で紹介された記事や入門式、昇級試験の結果など当時に行われていた懐かしい行事なども書かれています。
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(両丹日日新聞の記事内容の文面あり)
部内新聞 2000年12月1日号
まだインターネットが今ほど充実していない頃には部内誌を発行。
ホームページはHTMLを使って苦労していた時代。
2000年12月1日号
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部内新聞 2001年3月1日号
2001年3月1日号
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国際大会へ18人の少年出場(1985年11月の両丹日日新聞の記事)
2002年 府大会、3種目で最優秀(両丹日日新聞記事)
番外編 京綾道院設立一周年記念演武会
京綾道院(現綾部スポーツ少年団支部)の設立一周年記念演武会の模様が読売新聞に掲載されたときのもの。
原田公臣先生が演武している懐かしい写真です。
当時は綾部の梅垣 薫(梅垣紡績社長)氏が中心となりみんなが一丸となって燃えていた時代でした。